2012年03月14日

白洲次郎生誕110年記念トークイベント「樹氷・温泉・白洲次郎を熱く語る」総括

26日(日)「白洲次郎生誕110年記念トークイベント」を主催した。

厳冬期の蔵王の寒さは本物で2日間ともお天道様を見ることは叶わなかった。
それにも関わらず会場となった体育館に遠くは北海道、福井、福岡から定員30名に対し、予想を遙かに超える45名の白洲次郎ファンが集い熱いトークイベントが交わされた。

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兵庫県三田市にある白洲次郎・正子が眠る墓を毎年命日に参る人、白洲次郎を語る福岡の会を創った人などなど本人とは会ったこともないのにこれほどまでに人を惹きつける白洲次郎の魅力はナンなのだろう。

サッカー日本代表キャプテンの長谷部選手が'本田選手のバッグからのぞく白洲次郎の文庫本を見て尋ねると「えっ? 白洲次郎知ってんの?」と逆にビックリされたとか、いやはや・・・

トークイベントは3時間と短いものだったが、なかなか中味の濃いイベントだったのではないかと思う。

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白洲次郎という希代の人物が山形県蔵王に残してくれたものとは何だったのだろう。
私はそこに見たモノはプリンシプル(原則、筋を通す)という”精神性”ではなかったかと思っている。


『熱心にやり出したのは日本に帰ってからの28,9歳のときからである。冬はいつも熱心に山スキーに行っていた。春になるとやることがなく、ゴルフをした。そろそろゴルフ屋というのがはびこりだした頃である。

またスコアばかり気にする人もいる。私などは如何にその夜の酒をよくするか、ということでやっている。

山が好きでね。山を歩く方法にスキーをやるんだけれども、東北人から文句がくるんだ。「どうしてお前、信州へスキーに行くんだ。東北の蔵王に雪があるのに・・・」だから、僕は志賀高原の小屋を処分して、東北に造ろうと思ってるんだ。

(−1957年(昭和32年5月)扇屋正造との対談−』)

20120226jaren.jpgこうして、ヒュッテ・ヤレン(現三宅山荘)は昭和32年8月蔵王に建てられた。

鎮守の森とは、かつては神社を囲むようにして、必ず存在した森林のことで杜の字をあてることも多い。

神社を遠景から見ると、たいていはこんもりとした森があり、その一端に鳥居がある。鳥居から森林の内部に向けて参道があり、その行き当たりに境内や本殿があり、その背後には森林の中央部が位置するようになっていて、森の深い方に向かって礼拝をする形になっている。このことからも「社(やしろ)が先に在ったのではなく、信仰された森に社が建てられたことが良く解る。

鎮守の杜とは本来、森林や森林に覆われた土地、山岳(霊峰富士や山形であれば蔵王権現や出羽三山など)・巨石や海や河川(岩礁や滝など特徴的な場所)など自然そのものが信仰の対象になっている。―ウィキペディアより抜粋―

蔵王プロジェクトM・Jは白洲次郎が蔵王に残した”精神性”を大切に守りながら、旧白洲山荘を「鎮守の杜=核」として位置づけ、このエリアから「スキー場一辺倒」の考えから脱し、「山岳・温泉保養地=蔵王=東洋のサンモリッツ」の蔵王温泉として、再生への提言としたい。

「蔵王プロジェクトM・J」に関わってくれた建築家S氏とN氏・K女史、建築工務所代表のO氏、木造建築構造専門家のH氏、元気・まちネットのS女史にはこころより感謝したい。

実現するにはまだまだ続きがあるのだが、このトークイベントは一つの大きな節目となった。

元気・まちネット掲示板より抜粋)
posted by c at 23:15| Comment(0) | TrackBack(0) | ●活動報告
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